<アンチ>とは何だったのか?

 FLASH・動画板で活動する<職人>達を長年に亘って一喜一憂させてきた<アンチ統一スレッド>。その影響力から、事実上FLASH板に君臨する<奥の院>として扱う声すら一部にはあった。だが、果たして<アンチ>とは一体何だったのだろうか?

 実際には、功罪どちらにしても伝説ばかりが一人歩きしているように筆者には思える部分もある。同じスレッドであっても同じメンバーが常に動かしているわけではないし、人は変化しまた入れ替わっていくのであって、その影響力や性質や実態は時に応じて変化してきたはずである。歴史的に検討してみたい。


はじまり

 FLASH・動画板に<アンチ統一スレッド>が誕生したのは2002年秋のことである。後に、スレッドを立てた>>1ことsims氏(現清水氏)は、「FLASH板各地に散らばっていた単発のアンチスレを糾合して隔離するため」だったと語っているが、注目するべきは、<アンチスレッド>は誕生の直後から、叩きよりむしろ職人達の序列を語る場として機能したという紛れもない事実である。

 sims氏はスレッドの作成において「UNIX」や「キミとボク」などの著名な作品が叩かれてきた歴史を軽く紹介しており、現に<アンチスレッド>で最初に叩かれたのは「青い鳥」で知られるフェラス伊東氏だった。だが、糾合は思わぬ効果をもたらす。さまざまな作品への叩きや評価を集めようとした結果、それぞれの序列化をして誰が一番上で、誰が一番下か、を語る場にすぐさま変質した。これはアンチ1ことsims氏が予想しなかった出来事だったのではないかと思われる。

 後年、<アンチ>の伝説や歴史を語る者達が、決定的に欠落させてしまっているのはこの点である。<アンチ>は叩きの場ではなく、序列化や系略図語りの場として最初からスタートしたのである。

 従って、これまでアンチがついていた作品への語りを超えて、すぐさまこの序列化に組み込むべく、FLASH板で活躍する既存職人への評価づけへとアンチの声は広がっていく。スレッドの序盤から既にスキマ産業氏らを筆頭格とする序列表、または商業作家として活躍するもりのあるじ氏らを神格とするような序列表や採点表が作成されている。

 <アンチ>の原動力は、ただの叩きではない。暗黙のうちにか表面的にか、こうした序列化や系略図語りに組み込むことを前提とするところに原動力があるのである。アンチの声や対象はあっという間に広がり、やがてFLASH板全体のもろもろの事象や動向を俯瞰する<サロン>となるのに時間はかからなかった。あっというまに板職人や鑑賞者にとって目の離せない<隔離場所>になったのである。

第一の変質

 暫くは、職人相互の序列化をめぐる綱引き、アンチ屋、ファン、場合によっては当の職人を交えた争いが続くが、やがて第一の変質が訪れる。

 変質とは、諸々の職人や事象へのサロン語りを超えて、FLASH板の未来への夢紡ぎが始まったことである。軟骨氏ら職人達のFLASH板での未来を志向した奮闘に加えて、決定的な契機となったのは、2ちゃんねる内外にFLASH・動画板の存在を大きく知らしめることになった2002年12月の第一回紅白FLASH合戦だった。

 大きく成功した第一回紅白は、<アンチ>住民にとって、態度の変更を迫るものでもあった。ありたいていに言えば、板総出で成功させた、またはそう願ってきたイベントと作品に、文句ばかりはなかなかつけられないのである。揶揄よりは代表への愛情を注ぐといった態度が色濃くなる。「アンチは職人を想っている!アンチは職人を愛している!アンチは愛を込めて職人を叩く! 」即ち「応援をこめての批評を行う」といったイデーは、この紅白の成功への過程あたりではじめてまともに成立したものと見ていい。

 これは、<アンチ>から自然に育まれたものというよりは、FLASH板全体の興奮がもたらしたものだと言える。イベントになると積極的なアンチ評論が頻出するという<アンチ>の性質は、このあたりから始まっている。またこの第一回紅白の準備過程のなかから、後のFLASH★BOMBに繋がる2ちゃんねるナイトの構想が浮上してくる。

 そして板全体の興奮が過ぎれば<アンチ>にも反動が来るのだが、この反動も以降毎年お馴染みのものとなる。03年の年明けは、モナ倉氏と基地害氏の、他の多数の著名コテハンを巻き込んだ争いに始まり、続いてアンチスレッドを生んだsims氏の突然の追放劇が起こる。この追放劇の結果、アンチ隔離スレが分離され、<アンチ>は第一回目の瓦解を迎える。

黄金期-第二世代の登場-

 03年1月に一旦は瓦解した<アンチ>だったが、やがて自然に住民達は戻り、復活を遂げる。瓦解の反省から、再建アンチはより<中立的な批評>を志向する傾向が強くなった。

 この過程で最初に見いだされたのが、「2ちゃんねる大王」で華々しいデビューを飾った512kb氏である。以降、03年中を通して、第二世代とも言える後に著名な職人達が続々と<見出され>ていくこととなる。

 この03年が<アンチ>のある種の黄金期だったとも言えるだろう。さまざまな反省も踏まえて時に作品ではない個人叩きに傾く場合には、多数が抑制するといった場面もよく見られた。「アンチとは何か?」「アンチの存在意義とは?」といった自問が繰り返し起こるようになったのも前年紅白からの一連の過程からである。

 03年を通じて、namida氏、赤木虫大氏、Saada氏、2501氏、nae氏ら、<第二世代>として後に活躍する職人達が<見出され>ることになる。<アンチ>側はただ目につく作品について語っているだけなのだが、中立的な批評への志向の下で、<アンチ>での評価が、そのまま職人のステイタスを決するようなある種の<伝説>が大手を振るようになるのもこの年である。

 一方でFLASH板全体としても、職人やイベントを自己言及的に<伝説化>する動きが相次いだ。5月、スキマ産業氏の伝説化を決定づけるnum1000祭りがあり、夏には「奇跡の祭典」としてイベント自体が伝説的な存在と化した第一回のFLASH★BOMBが開催される。

 このイベントは自身達を伝説化しようとする傾向を最初から抱えており、オープニングを飾ったスキマ産業氏は<楽園>という自己言及的なテーマを掲げ、またFLASH板筆頭コテハンと言われた軟骨氏も、FLASH板の歴史を総覧する作品を提示し、また両者はともに引退を表明した。参加者中とりわけ後日話題をかっさらうことになったNNSJ氏(現たけはらみのる氏)らの栄光も決定的なものとなった。非常に劇的な仕掛けや出来事の多いイベントだった。FLASH50女史達は一方でちゃんねるぼっくす企画で「FLASH板」自身をテーマとするような作品イベント企画も仕掛けている。

 こうした伝説化には、もちろん<アンチ>における序列化機能が大きく寄与している。各種イベントの成功や作品の話題性と相互に作用しながら、<中立的な批評>の身振りの下で言説的に<伝説化>を拡大再生産していったのが、03年の<アンチ>であったと言える。

 そして、FLASH★BOMBや板や職人達が<伝説化>されることにより、さらのその発案や後押しをなした<アンチ>もまた<伝説化>される。相互的な拡大の歯車がうまく駆動していったのがこの時期であった。

 こうした自己の役割を自認してか否か、11月には<アンチ>主導の形で<感想スレッド>がFLASH板に成立する。この時点で、<アンチ>がFLASH板を方向づけ盛り上げていくという<自己認識>は一つの完成形を迎えたと見ることができるだろう。但し、この動き自体は<アンチ>自身の批評の低調傾向からも生まれたものであって、ある種の空洞化の予兆を孕むものだった。

 一方で、眩い光の裏に、影もまた着実に膨れ上がりつつあった。<アンチ>は中立的な身振りを確保するために、4月に個人的中傷や叩きを最悪板に隔離し、後の禍根の種を残した。また、<伝説化>の反動ともいえる、「イベントを汚すな」といった新しい形の叩きが姿を見せ、FLASH★BOMB直後にみのぷう氏への集中的な叩きなどが起きている。

純粋批評への志向と失敗

 03年終盤に、<アンチ>の中立的、応援的な志向を引継ぎ、さらに純粋批評の次元へと持ち上げようとしていたかに見えたのが長文弥太郎氏だった。03年末開催の第二回紅白に際し、全作品アンチを行ったが、過去作品への参照を含めたそのカタログ・ベース的な発想と応援的な批評に注目が集まった。

 この時、最悪板にあったアンチスレッド側では、FLASH技術は毫も無いけど物書きを志す文学部生(19)氏が途中からやはり全作品アンチを行っていたが、情緒的な氏の批評よりは、分析的な文体な長文氏の側にアンチ批評子達の支持は集まったようである。翌年、「アンチの日」を制定するなど、分析批評的な方向を確立しようという流れが生まれる。

 だが、03年末紅白においては、一方で「紅白にふさわしくない」という趣旨での激越な茶柱氏への集中的な叩きや、天国氏への個人中傷的な激しい個人叩きなどが巻き起こっている。一方でスキマ産業(SinClow)、軟骨(202)両氏の復活によりスレッドが停止するなど、全体に、分析的批評に<アンチ>は傾いたのではなく、むしろ分析的な流れを強めようとするのと同時に、二律背反的に、感情的、淘汰的な反応や叩きもまた増大していたと言える。

 こうした危うさは、翌年1月、前年に引き続く反動期に一挙に噴出することになる。

 04年1月、G-STYLE氏の<アンチ>への「作品で勝負だ」といった宣戦布告から、<アンチ>は沸騰し、批評の自立性を志向した長文弥太郎氏は、これが不可能であることを理由に引退を表明し、さらなる恐慌となった。そもそも<アンチ>で純粋批評が成立可能なのかどうかはさておいて、事態は、「アンチはまともな批評の場ではない」を自ら示すようなありさまで結局は<アンチ>の瓦解を招いた。

 紛糾のうちに議論スレや別スレへと<アンチ>は四分五裂し、AA荒らしなども経た上で最悪板に結局は落ち着くことになる。sims氏の作成した初代以来、一時瓦解しつつも続いたアンチスレッドは、ナンバー51を数えて、途絶した。

最悪時代

 最悪板<アンチ>は、そもそもアンチ本スレッドからの隔離スレッドであり、「本スレで禁止されているコテハン個人の人格への批判・誹謗・中傷や妄想、憶測、格付けや相関図作成もこちらで。」と断り書きが当時はあった通り、移行初盤は激しい個人中傷の舞台となった。

 前年度から天国氏らへの叩きがくすぶっていたのに加え、殆ど理由の見当たらない、密室氏らへの熾烈極まる個人攻撃などが展開された。議論スレッドなどから事態を憂いた一部は、04年3月、新生アンチスレッドをFLASH板側に立てて統制を計ろうとするが、最悪<アンチ>に対抗して感情を排した分析的な批評をという試みは、長文氏の挫折を繰り返すことでしかなく、定着の見通しは立たなかった。

 結局、一部メンバーを感想スレッドなどに残したまま、まるで再建<アンチ>時代の中立的、応援的姿勢の身振りへの反動であるかのように、最悪<アンチ>は情念的な叩きや書き込み、スキャンダルの暴露に溢れることになった。

 折しも、03年に積み上げられたFLASH板の<栄光>の、その影から膿が一挙に噴出したところもあった。眩い輝きを放つFLASH★BOMB。その次の招聘をめぐってノミネート予想などで激しい綱引きが展開される。6月にはF★Bダービーが開催され、ここで大規模なFLASH50女史はじめ、<栄光の先導者>達への批判と、そして<嫉妬>なる定義を用いた反論が堂々と始まるようになる。一時は、あわやFLASH★BOMB反対グループ主導による別オフ企画が成立する一歩手前まで事態は進んだ。

 これまで、自演への揶揄などはありつつも、<嫉妬>という言葉での応酬はあまり見られなかった。それほどまでに、栄光と挫折との間の溝は修復不可能なまでに深いものとの認識がここで広がり始める。FLASH板という全体に、大きなヒビが入りはじめているのだという認識は、はじめてここで堂々と登場した。一方でダービーへ喧嘩を売ったと見做されてしまったマイナーズ主催氏は徹底して叩かれたうえに引退に追い込まれることになった。

 それでも、04年前半のイベントラッシュは、ぼちぼちとではあるがやがて<アンチ>に批評の復興をもたらすことになる。イベントの話題となったMutast氏やTNT氏(現森井ケンシロウ氏)が好餌となるなどのほか、とりわけ<アンチ>の批評子達を呼び覚ましたのは第一回の文芸祭だったらしく、最悪的な叩き基調ながら<アンチ批評>は復活を見た。続く夏に、すなふえ氏らをやはり伝説的な存在に押し上げ無事成功を収めることになったFLASH★BOMB04において、ようやくかつてのように息を吹き返したかにも見えた。

議論の時代

 だが、最悪時代を彩っているのは、全般的な傾向として言えば<アンチ批評>ではなく、<椅子取り議論>だった。8月から早々と紅白本スレと同時に当年度紅白のあり方をめぐる議論が始まり、足切り、賞の導入をめぐって賛成派、反対派間で激しい議論が続く。また、これまでの個人叩き、スキャンダル暴露に対する<犯人探し>が始まって、訴訟やIPを割るといった言葉が飛び交う状態となった。打倒的な議論や批判が色濃いものとなる。

 訴訟ごとなどのタイミングを見た、再度の新生アンチへの移動の動きもあったが、夏からFLASH板に導入されていたID制度が嫌われる格好ともなり、再度FLASH板への復活は成功しなかった。当時<アンチ>に依拠してブログ記事を書いていたGilcrows氏が批判され、当人が弁明に現れるという一幕などもあった。

 結局のところ、<アンチ>はFLASH板全体の動向のある種の映し鏡であって、職人達が栄光と挫折へとはっきりと色分けされていくに従って、<アンチ>の議論も全体として未来を志向するものではなく、互いに椅子を争うといった様子のものとなっていく。04年後半は、FLASH板の主導的グループのサロンとしてではなく、反対派、<嫉妬する者達>の吹き溜まりな<隔離場所>として扱われる傾向がますます強くなる。

 訴訟ごとや犯人探し、<粘着の隔離場所>扱いにより、批評そのものが手控えられる状態の下、<良アンチ>を再度取り戻すことになるのは、再びやはり年末の第三回紅白FLASH合戦だった。130を超える作品が登場したにもかかわらず、全作品へのアンチ批評が見られ、久々に住人達が<アンチ>の地力を確認しあう光景も見られた。

 だが、FLAPPIESに拠った長文弥太郎氏が批判を投げかけたように、かつてに比べて職人全体を応援する、といった姿勢は影を潜めつつあり、<アンチ>はむしろ足を引っ張るという弊害をもたらしかねない傾向を強めていたように見える。

 とりわけ04年紅白を通じて、<第三世代>とも呼べる新しい職人達、ちぇん氏、伊織氏、みーや氏、爆走戦隊氏などが<見出され>ることになるが、そのいずれも粘着的な叩きを抱える傾向になってしまっている。無条件に礼賛の傾向のあった<第二世代>に比して、<第三世代>は激しい序列争いや叩きに<アンチ>で翻弄されがちだ。つかはら氏、みーや氏をめぐる紅白大賞争いなど、後々まで激しい議論や叩きのタネとして残った。

自己言及の時代

 05年初盤のイベント<反動期>に入って、批評より議論、の傾向はより決定的なものとなった。最悪<アンチ>の弊害論から、FLASHブームの終焉議論までが始まる。夢見るよりも、つまらなさを強調する傾向が強くなった。議論はまとめサイトのあり方やオフ会での<馴れ合い>批判、MIXIへの非難や動画への移行などにも飛び火し、以降、延々続くループ議論状態をもたらすことになる。<アンチ批評>は事実上の死語となった。

 表面上、FLASH板は我が世の春を謳歌する最大の絶頂期にあり、さらに明るいニュースはフラハクの開催や、FLASH50女史達による、MUZO結成による商業興行化路線だったが、<アンチ>側では全員が神の国に入れるのではなく、栄光と挫折とにはっきりと色分けされているを前提とした上での、溜め息交じりの椅子取りゲーム、がループ議論大勢の基調をなしていた。

 05年夏、晴天の霹靂とも言えるのまねこ騒動が勃発する。その直前に起こった「NANACA CLASH」パクリ問題によってMUZOへの疑念を強めていた<アンチ>大勢は、ν速民やVIPPERの大挙の襲来に対して、当初寡黙、無抵抗を基本の姿勢とし、唖然と事態を見守るか、または冷笑的な態度で迎えるに終始していた。

 5月に4年ぶりの全板トーナメントを終え、<職人>としてのあり方への自信も深めていたFLASH板だったが、住民達はトーナメントでVIPを応援したはずの浦島氏や千葉Q氏達のとりなしが批判の海に押し流されていくのを愕然と眺めながら、ますます拡大する混乱に悲観的な思いを増大させていた。

 が、ついに吊るし上げがFLASH★BOMB出場職人にまで及ぶにあたって、反撃が始まる。「板を守れ」の檄が飛び、荒れ果てるFLASH板からの避難場所として<アンチ>は機能した。FLASH板の<本丸>としての自認が発動した印象であった。ν即やVIP側からも、「あそこには手を触れるな」という扱いだったようである。

 いいがかり的とも言える大規模なFLASH板や職人への攻撃への反発も伴って、FLASH板は一時的に大きな団結を取り戻したかのようだった。第三回のFLASH★BOMBは歓呼の声の下、成功を収める。

荒廃の地に

 だが、最後のFLASH★BOMBを終え、蝗の大群のようなν即民やVIPPERの来襲を過ぎてみると、そこに残ったのはただ荒れ果て脱力しきった板だけだった。FLASH★BOMB作品への<アンチ批評>は不発で、感想的な散文が散見されるばかりであった。既に長文批評をなす批評子は外部のサイトやブログにあっても、<アンチ>からは消えてしまっていた。

 のま猫騒動が収束していくにつれ、危機的反応からMUZOへの支持傾向だった<アンチ>から、その信頼は徐々に損なわれていき、紅白とFLASH★BOMBの終焉、slashupの開始が現実的なものとなっていくに従って齟齬は拡大していき、熱は潮を引くように薄れていった。

 FLASH板上では05年末の、slashupと闇鍋紅白の分裂開催が決定的なものとなる。だが、既に<アンチ>に事態を主導的に論じていく力はもはや残ってはいなかった。05年12月、歴史的失敗と見做された冬のslashupに対して、<アンチ>は冷笑をもって臨むほかなかった。一方の闇鍋紅白に対しても、作品批評よりもイベントのあり方批評が主な姿勢となった。

 06年に入り、年末イベントの対外的な不発(対内的には?)が決定的なものとして終わって以降、FLASH板の過疎化や、YOUTUBEをはじめとする動画ブームへの移行、職人作品やまとめサイトのヒット数下落が現実的な形としていよいよ認識され始める。そして、<アンチ>に関して、以降1、2の事例を除いて殆ど特筆すべき事項は見当たらない。

 FLASH板の過疎化がそのまま押し寄せる形で、<アンチ>は霧消しつつあるかに見えた。時折登場する話題作を取り上げつつも、ループ議論を繰り返しながら、FLASH板に主導的な影響を与えるでもなく、また激烈な叩きや批判を職人にもたらす力も失いつつあり、そのままひっそりと解体していくかに見えた。

 夏のslashupをめぐるアンチは、「商業なんだから遠慮なくつまらないと言う」といった声さえあがり、もはやかっての代表だからアンチするといった姿勢は完全に後ろへと退いたかに見える状態になった。8月、ありがちなPV作品を揶揄した作品、「DE JA VU」が<アンチ>住民から登場する。年末に雑誌「ネットランナー」での賞をかっさらうなど、<アンチ>の地力と意地を見せるものであったが、しかしこの時期最後の意地、となったようだ。

 翌9月、FLASH板に「最悪アンチを廃絶せよ」とのスレッドが立つ。既に<最悪アンチ>は過疎化しつつあるFLASH板に弊害しかもたらさない形骸でしかないと見做し、この廃絶を求めるものであった。激しい議論と応酬の末、最悪板アンチへのAA連投荒らしも始まり、以降、<最悪アンチ>は約3ヶ月間という長期の途絶状態となる。批評的部分は形式的にFLASH板側の新生アンチに残る形に、また観測サロン的部分を観測所スレッドに残す形となった。

 12月、長期に亘り途絶していた<最悪アンチ>がAA連投の停止とクリスマスを期に復活。雑談中心に回転を始めるが、以降の方向性は模索中といった模様だ。


 こうして改めて振り返るに、<アンチ>の歴史は、当たり前の話だがFLASH板の動向に極めて密接に関係している。但し、<アンチ>がFLASH板を主導する<奥の院>であるというのはただの伝説に過ぎない。<アンチ>は、FLASH板全体の興亡に伴い、時にその興奮に影響され、効果的な前進への歯車の役割をなし、また時に分裂を進行させ足を引っ張る役割をなした。時によっては何の影響もない雑談所であったこともある。

 相互作用、反作用的な合わせ鏡、それが<アンチ>であって、時に積極的、時に弊害的に働く。FLASH板アンチ、最悪アンチ、新生、難民ほか分裂スレを含めて、総計150スレを超える<アンチ>の長い歴史であるが、その功罪やあり方を一言で言うなら、FLASH板の興亡史をめぐる<狂言回し>であるだろうか。

 今後の<アンチ>のあり方も、またFLASH板全体の動向との相互作用、反作用によって決する。今後もなお、<アンチ>に拠るを求める者は、以上の歴史を、それが教えるある種の教訓について、できうるならば覚えておいてもらいたい。
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# by flashboarder | 2007-01-07 15:29

FLASH・動画板が衰退した理由

 2ちゃんねるのFLASH・動画板の衰退が叫ばれて久しい。この板の<職人>達が製作したタイムライン型のFLASH短編作品は、かつて2ちゃんねるを代表する個人創作文化であり、2ちゃんねるで発生する<祭り>における最強の支援物資などとして様々な場所でもてはやされていたものだ。この最盛の時期、FLASH・動画板は日本のFLASH界における最大のコミュニティと目されていた。

 現在、時折、単発的な話題作は登場するものの、全体としていまやかつての活況の影は見るべくもない。<職人>製作による作品やまとめサイトのヒット数は軒並み低落傾向にあり、FLASH・動画板自体、過疎化が進んでいると言われている。

 その理由は何だろう?

 いわく、動画ブーム到来によるFLASH全体のブームの終焉、のまねこ騒動によるFLASH板の地位低下、オリジナル作品重視によるファンからの乖離、FLASH板を牽引したMUZOの失墜によるリーダーシップの不在、などなど、様々な理由が囁かれている。現在もなお、当のFLASH板上でも議論が繰り返されている。

 だが、そのいずれも、なるほどと頷きつつも、しかし、どうしても筆者の実感からするなら腑に落ちないところがいつでも残る。

 私達が、何故あの時期に、FLASH作品とFLASH板にかくも熱い情熱と期待を注ぎ、そしてまた現在大きな失望を抱かざるを得ないのか。この点について、上述の解説はぴたりと腑に落ちるよう、説明してくれてはいないように思えるからだ。

 何故、あれほどに熱く盛り上がったのだろう?そして、何がすれ違ってしまったのだろう?

 
<職人>達は何を求めたのか

 今から振り返って考えるに、<職人>達がイベントや作品製作の中で求めていたものは、煎じ詰めて言えば<アマチュアイズムの快楽>だったのではなかったかと、筆者は自身の経験を含めて思う。

 一部の例外を除いて、多くの<職人>達が目指していたものは、プロになる、ということではなかったように思える。実際、プロまたは契約製作者として活動するなら、各種のコンテストに出品した方が余程早道だ。コンテストではなく、または各種企業へのコンタクトでもなく、わざわざFLASH・動画板での製作を選んだのは、そこが沸騰する<アマチュア達の楽園>だったからに他ならない。

 悪しざまな言い方をすれば、プロや契約製作者としてのリスクや束縛を負うことなく、自由なスタンスのまま、しかし、大きな名声や反応を得ることが出来る、鑑賞者達や他の職人達と交流することが出来る。それが、かつて<職人>達を熱狂させ、FLASH・動画板を輝かせていた魅力だった。

 勿論、その甘さを嫌う声はいつでも蔓延していた。実際に、イベントにそんな下らない作品を出すな、という理由で叩かれ、消えていった<職人>も数多い。だが、こうした直截な声は、アマチュアイズムの裏返しでもあって、実際、プロや契約製作者の作品がそんな理由でここまで叩かれるような事態は滅多に起こらない。一定の質が担保されているからという以上に、列記とした批評というものはある種の遠慮のあるものだ。現在ほぼプロ予備軍と扱われつつあるMUZO系作品に、アンチ批評がなかなかつかないのもこのためだ。

 画たる線を持たない、流動的で不安定な世界だからこそ、位置を求めて声はよくあがる。FLASH板で永きに亘って<職人>達を一喜一憂させた<アンチ批評>は、製作者、鑑賞者ともどもに位置が近く、常に不安定に流動し沸騰する<アマチュア達の楽園>の中でこそ盛り上がったものなのだと思う。
 
 そして天国にのぼるような名声と、地獄に落とされるごとき悪評と、その序列差がますます大きくなるにつれ、<快楽>は増加する。ギャンブルの射幸性にも似ているかもしれない。言い方を変えれば、反応が、手応えが大きいのである。

 伝説的な職人であるスキマ産業氏が掲げ、現在闇鍋紅白の主催である天国氏が広めた<楽園>というフレーズ。しかし船板一枚下は<地獄>でもあったことは、やはり実感として忘れられない。

沸騰から反転へ

 こうした沸騰が、冷却へと反転したのは何故だろう。射幸性を引き伸ばす為には、スケールを引き上げていかねばならない。このスケールアップをFLASH板のリーダーとして一身に引き受けたのが後にMUZOを結成することになるFLASH50女史達だったことは、今さら詳述するまでもないことだろう。彼女達のもとで、<職人>達は楽園がこれからも拡大するだろうという幸せな夢を見ていた。

 反転の契機は、恐らく第三回の紅白FLASH合戦だっただろうか。年々拡大するイベント規模に板住民達が熱狂するさなか、FLAPPIESの長文弥太郎氏は紅白批評において<革命の挫折>という言葉で早々と、気儘なスタンスのままに見果てぬ夢をそのまま膨らませるようなスケールアップの失敗と方向性の変質を見て取っている。

 後に商業化とのま猫騒動によって徹底的に批判されることになるFLASH50女史達だが、スケールアップの限界に誰より焦っていたのは彼女達だったのではなかろうか。サプライズ、を座右の銘としていた彼女にとって、スケールアップは身に染みた使命感でもあったであろうし、焦燥もまた誰より大きかったはずだ。どのような内情があったのかは伺い知れないが、板のリーダーとして、逢着点として彼女達が提示してきたのは、賞という形式の導入、そしてMUZO結成というプロ化、商業興行化路線だった。

 流動的な沸騰世界に、楔が打ち込まれることになった。後に起こるのま猫騒動は、恐らくこの楔を決定的なものにする効果であったに過ぎない。

 FLASH板を大きく揺るがすことになった2005年夏のわた氏作品をめぐるAAキャラの商業化騒動は、FLASH板や、またはMUZOにとって、はっきり言うならいいがかり、に他ならない。直接契約者ではないFLASH板やMUZO側からはアドバイス以上のことはやりようがないからである。

 にも関わらず、ν速住民やVIP板住民達がFLASH板やMUZOに要求したのは、とどのつまり「アマチュアの流動的世界にとどまれ」であったように思える。仮に、MUZO結成前の04年夏のFLASH★BOMBに同様の騒動が巻き起こっていたと仮定した場合、同じような結果になったとは思えない。既に金儲けとの批判はあったにせよ何せ黒楽曲可なアングライベントでもあったのだから。

 逆転して言えば、MUZO結成による商業化路線は、のま猫騒動が起こらずとも、遅かれ早かれどこかで2ちゃんねる住民達と大きな齟齬をきたしていたはずである。『電車男』にせよVIPまとめサイトのアフィリエイトをめぐる騒動にせよ、辿る顛末は同じだ。

 そしてν即民やVIPPER達からの攻撃に、FLASH板住人達は、個々の職人への擁護以上には抵抗し得なかった。何故なら、MUZOの結成と商業化路線というのは、誰もが口をつぐんでいるけれども、ほんとうは<職人>達が実際には暗黙のうちにか表面的にか支持し、また熱狂したことだったのだから。

 商業的興行に乗ること自体が即職人のプロ化を意味するものではないのだが、仮にここでは、乱暴にまとめてプロ化、または商業化と呼んでおくが、苛烈な沸騰の末に、いつのまにか私達職人は、プロ化または商業化という形ある夢を見てしまった。部分部分、アマチュアイズムこそが板の生命線だと声を挙げる人達もいた。だが、実感としてこれは間違いなく言える、板住民の大勢は、いつのまにか一つの形を夢見てしまっていたのだ。

 自分がプロになることでなく、FLASHの地位向上という点で歓迎した者もいるだろうし、一つの刺激として捉えた者もいるだろう。また文字通りプロ化の登竜門として捉えた者もいる。

 しかしいずれにしても、射幸的な刺激の拡大に何らかの決着を求めていたのは、私達職人や板住人達だったことは、間違いないだろうことは、覚えておくべきことだと思う。

再生へ、たとえば

 わかりきっているのは、定収入の仕事より、実際には損する可能性のほうがはるかに高い競馬のほうが面白い。それが商業化未満のアマチュア楽園/地獄の面白さだったということだ。現実的な定収入の形やルートが見えてしまうことは、興奮のゴールなのではない、それよりも<もっと大きな不定形な何か>をアマチュア楽園は夢に見て、沸騰していたのである。

 冷却状態からの再生には、幾つかの効果的な方法が存在するかもしれない。最もわかりやすく、単純な方法の一つは、例えばやはりMUZOが板イベントから撤退することだろうと思う。

 ただ、撤退すればいいという話ではない。MUZOの商業化が全ての元凶である、彼らの金儲けが板を駄目にした、という声をよく耳にする。が、かつて熱狂したその同じ口が罵るのを見るのは面白いことではない。問題は、商業化そのものではなく、FLASH板に目に見えるラインがありありと引かれてしまっていることだ。 

 また、結局のところ割合に多くの職人は、MUZOを見捨て切れずにいる。MUZOに求めたいのは、板イベントを放棄して、再びFLASH板をアマチュアの<楽園/地獄>に放り戻すことだ。

 旧FLASH★BOMBから引き継いだ夏のslashupは、恐らく今後も多くの支持があり、継続し成功していくだろう。外部のイベントとして、外からFLASH板内で活躍する各職人を適当に招聘すればいい。少なくともFLASH板内に形あるラインを残してしまわないことが必要なのである。

 そして私達職人は、一度は夢見たプロ化または商業化という形ある夢を、捨てる<ふり>をしなければならない。名声や感興を、プロ化または商業化とは違ったところに求める覚悟が必要だ。もし、外から声がかかったら、それはただの幸運に過ぎないという覚悟を決めることである。


 技術が向上しきったから、FLASH作品が面白くなくなったわけではない。それに伴う刺激がなくなったから、面白くなくなっただけのことである。遠く、プロや商業化路線とラインの引かれた者と、切磋する気に人はならない。そのようにも見ない。不安定な坩堝に叩き込まれて、激しい流動の手応えを感じるからこそ面白いのである。

 私達を坩堝に放り込め。面白いところに、必ず人は戻る。 
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# by flashboarder | 2007-01-06 05:51