FLASH・動画板が衰退した理由

 2ちゃんねるのFLASH・動画板の衰退が叫ばれて久しい。この板の<職人>達が製作したタイムライン型のFLASH短編作品は、かつて2ちゃんねるを代表する個人創作文化であり、2ちゃんねるで発生する<祭り>における最強の支援物資などとして様々な場所でもてはやされていたものだ。この最盛の時期、FLASH・動画板は日本のFLASH界における最大のコミュニティと目されていた。

 現在、時折、単発的な話題作は登場するものの、全体としていまやかつての活況の影は見るべくもない。<職人>製作による作品やまとめサイトのヒット数は軒並み低落傾向にあり、FLASH・動画板自体、過疎化が進んでいると言われている。

 その理由は何だろう?

 いわく、動画ブーム到来によるFLASH全体のブームの終焉、のまねこ騒動によるFLASH板の地位低下、オリジナル作品重視によるファンからの乖離、FLASH板を牽引したMUZOの失墜によるリーダーシップの不在、などなど、様々な理由が囁かれている。現在もなお、当のFLASH板上でも議論が繰り返されている。

 だが、そのいずれも、なるほどと頷きつつも、しかし、どうしても筆者の実感からするなら腑に落ちないところがいつでも残る。

 私達が、何故あの時期に、FLASH作品とFLASH板にかくも熱い情熱と期待を注ぎ、そしてまた現在大きな失望を抱かざるを得ないのか。この点について、上述の解説はぴたりと腑に落ちるよう、説明してくれてはいないように思えるからだ。

 何故、あれほどに熱く盛り上がったのだろう?そして、何がすれ違ってしまったのだろう?

 
<職人>達は何を求めたのか

 今から振り返って考えるに、<職人>達がイベントや作品製作の中で求めていたものは、煎じ詰めて言えば<アマチュアイズムの快楽>だったのではなかったかと、筆者は自身の経験を含めて思う。

 一部の例外を除いて、多くの<職人>達が目指していたものは、プロになる、ということではなかったように思える。実際、プロまたは契約製作者として活動するなら、各種のコンテストに出品した方が余程早道だ。コンテストではなく、または各種企業へのコンタクトでもなく、わざわざFLASH・動画板での製作を選んだのは、そこが沸騰する<アマチュア達の楽園>だったからに他ならない。

 悪しざまな言い方をすれば、プロや契約製作者としてのリスクや束縛を負うことなく、自由なスタンスのまま、しかし、大きな名声や反応を得ることが出来る、鑑賞者達や他の職人達と交流することが出来る。それが、かつて<職人>達を熱狂させ、FLASH・動画板を輝かせていた魅力だった。

 勿論、その甘さを嫌う声はいつでも蔓延していた。実際に、イベントにそんな下らない作品を出すな、という理由で叩かれ、消えていった<職人>も数多い。だが、こうした直截な声は、アマチュアイズムの裏返しでもあって、実際、プロや契約製作者の作品がそんな理由でここまで叩かれるような事態は滅多に起こらない。一定の質が担保されているからという以上に、列記とした批評というものはある種の遠慮のあるものだ。現在ほぼプロ予備軍と扱われつつあるMUZO系作品に、アンチ批評がなかなかつかないのもこのためだ。

 画たる線を持たない、流動的で不安定な世界だからこそ、位置を求めて声はよくあがる。FLASH板で永きに亘って<職人>達を一喜一憂させた<アンチ批評>は、製作者、鑑賞者ともどもに位置が近く、常に不安定に流動し沸騰する<アマチュア達の楽園>の中でこそ盛り上がったものなのだと思う。
 
 そして天国にのぼるような名声と、地獄に落とされるごとき悪評と、その序列差がますます大きくなるにつれ、<快楽>は増加する。ギャンブルの射幸性にも似ているかもしれない。言い方を変えれば、反応が、手応えが大きいのである。

 伝説的な職人であるスキマ産業氏が掲げ、現在闇鍋紅白の主催である天国氏が広めた<楽園>というフレーズ。しかし船板一枚下は<地獄>でもあったことは、やはり実感として忘れられない。

沸騰から反転へ

 こうした沸騰が、冷却へと反転したのは何故だろう。射幸性を引き伸ばす為には、スケールを引き上げていかねばならない。このスケールアップをFLASH板のリーダーとして一身に引き受けたのが後にMUZOを結成することになるFLASH50女史達だったことは、今さら詳述するまでもないことだろう。彼女達のもとで、<職人>達は楽園がこれからも拡大するだろうという幸せな夢を見ていた。

 反転の契機は、恐らく第三回の紅白FLASH合戦だっただろうか。年々拡大するイベント規模に板住民達が熱狂するさなか、FLAPPIESの長文弥太郎氏は紅白批評において<革命の挫折>という言葉で早々と、気儘なスタンスのままに見果てぬ夢をそのまま膨らませるようなスケールアップの失敗と方向性の変質を見て取っている。

 後に商業化とのま猫騒動によって徹底的に批判されることになるFLASH50女史達だが、スケールアップの限界に誰より焦っていたのは彼女達だったのではなかろうか。サプライズ、を座右の銘としていた彼女にとって、スケールアップは身に染みた使命感でもあったであろうし、焦燥もまた誰より大きかったはずだ。どのような内情があったのかは伺い知れないが、板のリーダーとして、逢着点として彼女達が提示してきたのは、賞という形式の導入、そしてMUZO結成というプロ化、商業興行化路線だった。

 流動的な沸騰世界に、楔が打ち込まれることになった。後に起こるのま猫騒動は、恐らくこの楔を決定的なものにする効果であったに過ぎない。

 FLASH板を大きく揺るがすことになった2005年夏のわた氏作品をめぐるAAキャラの商業化騒動は、FLASH板や、またはMUZOにとって、はっきり言うならいいがかり、に他ならない。直接契約者ではないFLASH板やMUZO側からはアドバイス以上のことはやりようがないからである。

 にも関わらず、ν速住民やVIP板住民達がFLASH板やMUZOに要求したのは、とどのつまり「アマチュアの流動的世界にとどまれ」であったように思える。仮に、MUZO結成前の04年夏のFLASH★BOMBに同様の騒動が巻き起こっていたと仮定した場合、同じような結果になったとは思えない。既に金儲けとの批判はあったにせよ何せ黒楽曲可なアングライベントでもあったのだから。

 逆転して言えば、MUZO結成による商業化路線は、のま猫騒動が起こらずとも、遅かれ早かれどこかで2ちゃんねる住民達と大きな齟齬をきたしていたはずである。『電車男』にせよVIPまとめサイトのアフィリエイトをめぐる騒動にせよ、辿る顛末は同じだ。

 そしてν即民やVIPPER達からの攻撃に、FLASH板住人達は、個々の職人への擁護以上には抵抗し得なかった。何故なら、MUZOの結成と商業化路線というのは、誰もが口をつぐんでいるけれども、ほんとうは<職人>達が実際には暗黙のうちにか表面的にか支持し、また熱狂したことだったのだから。

 商業的興行に乗ること自体が即職人のプロ化を意味するものではないのだが、仮にここでは、乱暴にまとめてプロ化、または商業化と呼んでおくが、苛烈な沸騰の末に、いつのまにか私達職人は、プロ化または商業化という形ある夢を見てしまった。部分部分、アマチュアイズムこそが板の生命線だと声を挙げる人達もいた。だが、実感としてこれは間違いなく言える、板住民の大勢は、いつのまにか一つの形を夢見てしまっていたのだ。

 自分がプロになることでなく、FLASHの地位向上という点で歓迎した者もいるだろうし、一つの刺激として捉えた者もいるだろう。また文字通りプロ化の登竜門として捉えた者もいる。

 しかしいずれにしても、射幸的な刺激の拡大に何らかの決着を求めていたのは、私達職人や板住人達だったことは、間違いないだろうことは、覚えておくべきことだと思う。

再生へ、たとえば

 わかりきっているのは、定収入の仕事より、実際には損する可能性のほうがはるかに高い競馬のほうが面白い。それが商業化未満のアマチュア楽園/地獄の面白さだったということだ。現実的な定収入の形やルートが見えてしまうことは、興奮のゴールなのではない、それよりも<もっと大きな不定形な何か>をアマチュア楽園は夢に見て、沸騰していたのである。

 冷却状態からの再生には、幾つかの効果的な方法が存在するかもしれない。最もわかりやすく、単純な方法の一つは、例えばやはりMUZOが板イベントから撤退することだろうと思う。

 ただ、撤退すればいいという話ではない。MUZOの商業化が全ての元凶である、彼らの金儲けが板を駄目にした、という声をよく耳にする。が、かつて熱狂したその同じ口が罵るのを見るのは面白いことではない。問題は、商業化そのものではなく、FLASH板に目に見えるラインがありありと引かれてしまっていることだ。 

 また、結局のところ割合に多くの職人は、MUZOを見捨て切れずにいる。MUZOに求めたいのは、板イベントを放棄して、再びFLASH板をアマチュアの<楽園/地獄>に放り戻すことだ。

 旧FLASH★BOMBから引き継いだ夏のslashupは、恐らく今後も多くの支持があり、継続し成功していくだろう。外部のイベントとして、外からFLASH板内で活躍する各職人を適当に招聘すればいい。少なくともFLASH板内に形あるラインを残してしまわないことが必要なのである。

 そして私達職人は、一度は夢見たプロ化または商業化という形ある夢を、捨てる<ふり>をしなければならない。名声や感興を、プロ化または商業化とは違ったところに求める覚悟が必要だ。もし、外から声がかかったら、それはただの幸運に過ぎないという覚悟を決めることである。


 技術が向上しきったから、FLASH作品が面白くなくなったわけではない。それに伴う刺激がなくなったから、面白くなくなっただけのことである。遠く、プロや商業化路線とラインの引かれた者と、切磋する気に人はならない。そのようにも見ない。不安定な坩堝に叩き込まれて、激しい流動の手応えを感じるからこそ面白いのである。

 私達を坩堝に放り込め。面白いところに、必ず人は戻る。 
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by flashboarder | 2007-01-06 05:51


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